中沢 世の中では、岡本太郎のことを
「あ、爆発の人ね」とか、
情報量としては
それくらいの認識なんですね、
だけど、
岡本太郎の考えてたこと、
やろうとしてできなかったことは、
到底そんなもんじゃない。
亡くなった時点で、
もう岡本さんは理解したって
つい処理しちゃうんだけど、
決してそうじゃない。
つまり、「逆襲してくるもの」があるんですよ。
土屋 その岡本太郎の作品、
「明日の神話」がメキシコで発見されて、
たまたま、そのお話を
僕のところにいただいて、
そこに第2日本テレビのスタートが重なり‥‥。
糸井 そうなんですよね。
土屋 それで、『爆発屋 岡本太郎大博覧会』とか
ああいったコンテンツを立ち上げ、
そして来年の夏に、
修復された「明日の神話」を飾って、
そのときに何かをやろうという話を、
まさに昨日してたんですけど‥‥。
要するに、2006年夏、
「岡本太郎」を突きつけられたとき
「テレビ」には何ができるのか。

だから、この「明日の神話」と
第2日本テレビと‥‥
本当にいろんなことが
重なっているんです。


岡本太郎「明日の神話」(一部)
糸井 岡本太郎と中沢新一って
先生が一緒だったんですよ。
中沢 マルセル・モースという人がいて
僕は会ったこともないんだけど(笑)、
太郎はその直弟子なんです。
土屋 ほう。
中沢 太郎はね、フランスに18年近くいたでしょう。
最後の時期はナチスが勢力を持ちはじめ、
彼も外国へ逃げ出さなきゃいけなくなって。
で、日本へ帰って来て活動を始めると
さんざんにやられるわけです。
お前なんか下手くそだとか。
やってることがわからないだとか。
そんな中で彼は、
東北へ行き、その文化に触れ、
縄文に触れて‥‥。
そのとき、
岡本太郎はよみがえったんですね。
糸井 うん。
中沢 僕もチベットに行ったり
いろんなことをやりましたけど、
まんなかの部分に
レヴィ=ストロースっていう学者がいるんです。
で、レヴィ=ストロースは、
マルセル・モースの弟子なんです。
そういった意味で言うと、
岡本太郎が何に悩み、何に限界を感じ、
どこに突破口を見出していったかっていうのは、
なんとなく分かるような気がするんです。

糸井 「岡本太郎」っていうのは
「メディア」ですよね。
みんながそれに乗っかって、
なにか表現することができる、
そういう場所をつくるために
菊池寛は文藝春秋を設立した。

岡本太郎は、彼自身
そう意図したかどうかは別として
いま「メディア」になっている。

それをみんなが利用して、
「岡本太郎」の上に乗って走る。
それは逆に言うと、
岡本太郎がみんなの上に
乗って走る、ということでもある。
こういう関係の中で
みんなが出会う「太郎インフラ」が
いま、できつつある。
土屋 メディアってやっぱり、
送り手と受け手とが
一緒に作りあげていくというか。

国際フォーラムの
中沢さんのイベントでも
7000円ものチケット代を払って
あれだけの数の人が集まった。

「ほぼ日」というメディアを
作り上げてきた
糸井さんとスタッフとが、
あのイベントを、ああいったかたちで
やり得るすごさっていうか‥‥
テレビには、まず無理だなと。

「ほぼ日」という
メディアの強さというものに、
やっぱり一番感動したんですよね。
糸井 国際フォーラムでは
「アースダイバー」でもなければ、
「芸術人類学」でもない、
「はじめての中沢新一。」
というタイトルを
わざとつけたんです。
なぜかと言ったら、
「中沢新一」もまたメディアだから。
土屋 テレビでは絶対できない
メディアの作り方だなっていう部分で、
本当に強烈でしたね。
糸井 僕らがやろうとしていることは
「メディア×メディア」ですよね。
つまり、メディアを
どれだけ累乗していくか。
中沢 なるほど。

糸井 岡本太郎×中沢新一×
糸井重里×「ほぼ日」×土屋敏男‥‥。
ちいさなメディアでも、
掛け算を重ねてゆくことによって、
マスにはできないことが可能になる。

それぞれのメディアは、
それぞれのメディアのままで、
掛け算をすることによって、変化していく。

だから、今日のわるだくみは、
Tシャツの話をする場所、
というメディアを最初に作って、
そこに土屋さんを呼んで
メディアが増えてるって話をしようと思って。
で、その話を中沢くんにしたら
「それ面白いね」って来てくれることになって‥‥
これだけでもう、メディアは
何倍にも増えている。
中沢 だからたとえば、
糸井さんから「T-1」のことを聞いて、
そこに僕のアイデアが
クロスして掛けられるわけですけど、
そのときは、「×」が
もっとクリエイティブというか、
力になって生きてますよね。

これからは
「メディアの関係性を
 つくるためのメディア」
っていう考えかたが、
ものすごく重要に
なってくると思うんですよ。
糸井 うん。
中沢 つまり、「×」というのは、
単なる足し算とは違って、
そこに各人それぞれの
「ひねり」や「ねじれ」が
入り込んでくるんです。

とじる